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「黒ワニとハーモニカ」別館 バンダイがマーズジャケットをプラモにしてくれるのを待つ日記

ロボットアニメをわりと好むヲタによるブログ。 たまに少しだけ防衛問題について喋ったりもします。 あとパワードレッド・ドレッドノートHのプラモ化と、コトブキヤが有澤の雷電をプラモにしてくれるのも待ってます。

「海軍の選択 再考真珠湾への道」 相澤淳

太平洋戦争に至るまでの海軍軍政史を改めて研究する一冊。
どのテーマも非常に興味深い。

●軍縮条約離脱に関する日本海軍の認識
1934年4月、海軍内部に設けられた軍備制限研究委員会の下した日米両国の造艦能力について。
 平時ベース           戦時ベース
 日本:年間45000t        14万t
 米国:年間80000t        24万t

前者の場合対米5割6分、後者は5割8分となる。
無条約競争となった場合、対米7割どころか6割維持すら不可能だった計算になるが「米国はすでに造艦能力の上限に達する計画を持っているのでこれ以上の造艦は不可能である」という認識に基づいて無条約状態でも軍備競争は起こらない、とした。
ただし、これは過去二十年間の実績から算定された数字であり、日本は軍縮条約を離脱し対米軍備競争に望むという『非常時』を基準にする一方で米国は平時の統計を基準にした数字である。
 
 *1929年にNYを訪問した日本海軍練習艦隊の若手指導教官による少尉候補生への弁。
  「奈良の大仏とNYの自由の女神の大きさは、大仏が立ち上がってみない限りどちらが世界一かわからない」

米国も日本側の不満を知りつつ第二次ロンドン条約交渉で従来の建艦比率を押し通してきたのは「無条約の軍備競争となればすぐに日本も不利を悟り、新たな軍縮条約を提案してくるだろう」と考えていたことによる。

最終的に日本海軍が軍縮条約離脱を決定したのは「建艦競争は起こらないであろう」「大和型の建造で向こう10年は対米優位を保てるだろう」という2つの根拠による。

結果的にいえばヴィンソン計画の進展(最終的に両洋艦隊法にまで至る)で建艦競争は発生し、それによって「10年間の対米優位」を保つことはならなかった。
(6年目の1942年には対米6割5分と見積もられた)

●日中戦争への海軍の態度
トラウトマン工作に関する海軍の強硬態度について。
米内は対中強硬策を否定してはいたが、同時に「あらゆる点において優位にある日本が大国の態度をもって積極的に支那をリードしてやるべき」というはっきりとした日本優越論者でもあった。
1937年8月13日の陸軍上海派遣にも渋々ながらの同意しか与えず、日中戦争勃発当初は不拡大方針を唱えていた米内だったが、その翌日に起こった中国空軍による在中国日本艦隊旗艦「出雲」への空襲によって態度を急変させる。
それが「日本を強者、中国は弱者である」と明確に位置づける米内の認識から中国庸懲論を生み出した?

●日独伊3国同盟の戦略
海軍の伝統的政策はどこにあったのか、という設問。
従来では「英米協調策が海軍の伝統であり、30年代前半期の艦隊派が非主流派である」とされてきたが、実際には「何といっても北守南進こそが海軍の基礎政策であり、陸軍の第一次三国同盟推進に消極的であったというのはつまり陸軍の伝統的政策である対ソ(=北進)同盟に消極的であったということであり、第二次同盟においては態度が変わったのはそれが南進のための同盟へと変化したからではないか」という説を(英米協調派とされてきた米内が抱いていた強い反英感情など、あまり知られていないさまざまな事例をもとに)本書では提示している。


従来の軍政史の再考察として非常に興味深い本。
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