「黒ワニとハーモニカ」別館 バンダイがマーズジャケットをプラモにしてくれるのを待つ日記

ロボットアニメをわりと好むヲタによるブログ。 たまに少しだけ防衛問題について喋ったりもします。 あとパワードレッド・ドレッドノートHのプラモ化と、コトブキヤが有澤の雷電をプラモにしてくれるのも待ってます。

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「戦争と飢餓」リジー・コリンガム

・アメリカ
戦前はアメリカでも農業の機械化は遅れており、45年でやっと半分の農家に電気が通ったというくらい。
しかし他の国と違い農家の収入が大幅に増え、100%以上の伸びを記録している。
イリノイ州ではある工場の食堂を調査した結果71%が不適と判断されたが、「牛乳または乳製品230g、緑黄色野菜一カップ、肉、チーズ、魚または鶏卵、全粒粉パンふた切れ、バターまたは栄養強化マーガリン、フルーツジュースまたはかんきつ類の果物」というこれらのうち2つが欠けるだけで「不適格」とされるという恐ろしく高い水準で判断していたため。
またKレーション(フルーツバー、クラッカー、チーズ、固形ブイヨン、麦芽ブドウ糖の錠剤、チューインガム、トイレットペーパー、石鹸、缶切り、水質浄化剤)はまずい、食欲をそそらないという理由で半分は常習的に棄てていたという。
その結果ヨーロッパ戦域では79%が野戦調理場か食堂で調理された暖かい食事になったというが、日本軍の食料事情を知っていると同じ世界の同じ時代の出来事に思えなくなってくる。
船坂弘もこの本に登場するが、「テントでぐっすり眠った後ひげをそって腹いっぱい食事をしてから」戦う米兵士と、「塩と飯ごうと水、これが必需品。飯ごうと塩があれば煮沸でなんでも食べられる」という日本軍兵士の天国と地獄の違いを見せ付けられる役としてである。
ただし大統領は貧しい食事をしていた。

米本土ではあるが、米軍兵士の昼食。
「セッリ、グリーンオリーブ、レタス、七面鳥のローストとクランベリージャム、マッシュポテト、レーズン入りドレッシング、 臓物グレイビー、ジャンボアスパラガスの穂のバター炒め、カリフラワーのクリーム煮、レモンカスタードかアイスクリーム、 ロールパンとバター、レイヤー・ケーキ、果物の砂糖煮、コーヒーまたはお茶」

晩飯は
「牛もも肉の蒸し焼き、焼きじゃがいも、糖衣豆、ストロベリーアイスクリーム、レイヤー・ケーキ、パンとバター、コーヒーか牛乳」
結果米軍の兵士は徴兵後5kg以上太った。
また多数の民族が住む国で全員の味覚を満足させる食事の促進は結果として地域的・民族的多様性を薄めた薄味の料理を推進することになった。

・イギリス
戦前はイギリスでは下層の人間の健康状態がよくないことは「買い物の仕方や料理が下手で、自業自得である」とみなされ、特にチャーチルはこの手の福祉政策に無関心または嫌ってさえいたが、戦争が始まり配給制度が導入されるともはや国民の健康に政府が無関心を保つことが不可能になった。
栄養学者のセドリック・スタントン・ヒックスが軍の炊事顧問に任命されたとき、未だに80%ものビタミンを破壊し粥やシチューを焦げさせ、キャベツをヘドロ状にするソワイエこんろ(クリミア戦争当時の産物)が使われていることを知り、それを廃止するよう働きかけビタミンを75%も保てる新型スチーマーを採用させた。
これは英軍兵士の食糧事情を大きく改善し、士気の向上にも役立てている。

・日本
戦前はむしろ栄養学の観点で他の国より先進的であり、また味噌汁ひとつとっても地域差があるため「どの地域出身であっても等しく食べられる食事」として洋食や中華料理が多く取り入れられた。
占領地域でもインフレに有効な対策を講じなかったことから耕作放棄が進み、ビルマ・インドシナでは日本の降伏時には17000ヘクタールほどの稲田が放棄されている。
そのためインドシナ地域では大きな飢饉が起き、従来100万または200万とされたヴェトナム地域の飢饉は実際にはもっとひどいもので、特にヴェトナム北部の村にとってはヴェトナム戦争より日本占領下のほうが危機的であったという。
兵士の食糧事情はよく知られているが、携帯食料の充実していた(それでも米兵にとってはまずい代物だったのだが)米軍に対し、日本軍の兵士が(自発的に編み出した)非常用キットは「塩、マッチ、飯盒」。
煮沸消毒で草などを食べるのにこれが重要だった、という。「まずいから」という理由で携帯食料を半分近く捨ててなお軍隊としての組織力が失われない米軍とはもはや異次元の出来事に思える。

・ドイツ
ユダヤ人差別は食料配給にも明確に反映され、ドイツのために働く者には一日1200キロカロリー、その扶養家族には850キロカロリー、14歳以下の子供は850キロカロリー。
(ちなみに、成人が1日に必要とするカロリーはおよそ2200キロカロリー前後。コンビニのおにぎり1個あたりは180キロカロリーなのでユダヤ人の子供は一日6個のおにぎりで生活していたことになる)
1941年には鶏卵・バター・牛乳・食肉・果物の購入禁止、及び農家との取引の禁止、食料市場に出かけることを禁止されている。
またドイツ占領圏のギリシャでもほぼ同じ数字で、連合軍に解放された時には人口の14%が餓死または栄養不良に寄る病気で死亡していた。

・ソ連
戦前からロシア国民、特に農民は悲惨な状態にあり、一日をじゃがいも一個と茶さじ一杯分のトウモロコシで暮らすなどしていた。
1940年時点で食料供給が適切だと感じていた農民はわずか3%。労働者でも28%にとどまっていた。
ソ連の農業政策も過酷で、収穫高に対する徴発の割高はすべて現実の生産量ではなく理論上の生産力とされ、カザフスタンでは42~43年においては生産力と実際の生産高は100%も差が開いた。
にもかかわらずいかなる抗議活動も認められず、すべて「穀物調達の妨害行為」とみなされ重労働か投獄となった。
戦中も労働者や兵士はきわめて悲惨な食糧事情を強いられた。
「ひき割りトウモロコシかビートの葉か刺草の薄いスープ、キャベツはめったになく肉のかけらがごくまれに入っている」「アメリカ製の粉末卵を混ぜた雑穀の粥をスプーンに数杯」
という悲惨な環境にあり、そのため英米圏では毛嫌いされた粉末卵などの乾燥食料も貴重な食料としてロシア人には大いに助けとなった。
配給が少ないために割増分を受け取るべく児童労働が自発的に行われていたり、食事の後に食堂に忍び込んで食べ終わった皿を舐めて凌ぐなどの行為が行われていた。
その反面で共産党の上層部は朝から肉たっぷりの温かいシチューを「給仕がもらったおすそわけを自分の息子に分け与えられるほど」たっぷり食べていた。


斬新な視点から豊富な資料による裏付けを伴う貴重なデータを多く載せる本であり、値段は高いが十二分に吊り合う内容。
http://togetter.com/li/444538
こちらも参照。
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