「黒ワニとハーモニカ」別館 バンダイがマーズジャケットをプラモにしてくれるのを待つ日記

ロボットアニメをわりと好むヲタによるブログ。 たまに少しだけ防衛問題について喋ったりもします。 あとパワードレッド・ドレッドノートHのプラモ化と、コトブキヤが有澤の雷電をプラモにしてくれるのも待ってます。

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「戦後日本の防衛政策」中島信吾

各題は筆者の意訳であり原著の章題とは異なることを記しておく。

1、日本型文民統制の形成
「文民統制」について日本が当初困惑を持って迎えたのは有名であり、また旧軍人の再登用を海原治を代表とする旧内務省系形官僚が「かつて国を滅ぼした誤ったプロである彼らが再び軍事政策に関わろうとしている」という危機感を持って迎えたのも周知の通り。
しかし警察予備隊当初の頃とは異なり、防衛庁発足の頃にはすでに「文民統制」と「文官統制」の区別は内局自身も認識していたにも関わらず、海原らによって「文官統制」が定着した。

2、戦後日本における防衛力整備のあり方
対潜ヘリ空母(CVH)導入問題について。
赤城構想を海原がひっくり返した、とやや端的に説明されてきた経緯について。
統幕が初めて防衛力整備計画の立案作業に関与したケースであり、それを内局・統幕事務局・各幕の間で意見調整した後に統幕事務局が内局に最終案を送付、内局は予算枠を対GNP比2~3%に収まるよう各幕に修正させ、それを元に案を作成し赤城長官に説明を行い、これを赤城が最終的に発表したもの。
一次防以来から一貫して統幕が防衛力整備計画の立案作業に関与したことはなく、各幕が原案を作成した後に内局の防衛局防衛第一課が各幕と個別に調整し決定していた。
ただし赤城構想でも予算の制約など現実に防衛政策を取り巻くファクターを勘案して作成したものではなく軍事的観点から二次防に必要と思われる防衛力を算定する作業だったことは留意されたい。
CVHは太平洋戦争の戦訓から船団保護を重視する海自の強い希望で、まだ警察予備隊だった1953年頃にはすでにアメリカに将来的な空母保有を希望する旨を打診している。
この反映として現れたのが赤城構想でのCVHである。

実際には多くの批判を招いた。
社会党は言うまでもないとして、大蔵省も前提となる防衛庁の国民所得伸び率の見通しが楽観的であり社会保障や治山治水費なども考慮すると予算編成上不可能であるとして強く反発、自民党内反主流派からも野党に政府批判の口実を与えるべきでないと反対論が出される。
結局岸内閣下の安保騒動で二次防策定は大幅に遅れる。

一方で海自は内局や統幕を素通りする形でアメリカ海軍と接触、、CVH保有のための財政支援を打診している。
アメリカ側は構想自体を否定するものではなかったが、防衛庁の総意としての公式な打診なしにはなんとも言えない。
60年8月には防衛庁が制式にアメリカ側に側面支援なしにはこの構想は成立しない、できればアメリカからの財政支援を、少なくとも日本政府にCVH導入を示唆して欲しいとの旨を伝える。
海幕はここで調査団をアメリカに派遣、米海軍の賛同を得て経費負担を約36%とし、経費分担の細目取り決めを準備するなど計画が具体化していく。
駐日米大使館でも防衛庁の日本政府内部での地位の低さを懸念し、この問題は大蔵・外務を含めた政府間レベルで交渉し協定を取り結ぶ必要があると提言する。

ここで1961年ようやく国防会議が開かれるが、ここでも問題は紛糾する。
西村直己防衛庁長官は「今度の予算内示で220億円増にはなったが対国民所得比は低下してきている、対米アピールのためにもなにかしておくべき」と主張。
池田首相は「僕は多数意見に従う」と見解を述べず、議論は財政支出の規模をめぐる防衛庁と大蔵省の対立を軸にする。
軍事的観点からいかなる装備が必要なのかをまず先に算定すべきで、財政総枠を先に設定すべきではないとの意見も出されるが、実際に軍事的観点から防衛費を算定した結果、新規想定の事業費のみで一兆五千億円(その年の総支出が2兆1000億円)となり、再び財政支出の枠へと議論は回帰。一方では大平正芳官房長官のように対米関係の円滑化という観点からこの問題を述べるものもおり、西村は積極的にアメリカの意向を持ち出すが「CVHは一そろいないと困る、アンサンブルみたいなものだ」「魚雷一発で終わってしまうもの」と反対意見続出、国防会議義務局は最終的に池田の裁定を仰ぐが池田が軍事的問題に口を出すことは皆無に等しかった。
結局この問題は周知のよう駐米日本大使館へ赴任した海原が防衛局長に出戻ってきたことで制服組の唱えるCVH導入論を猛攻撃、最終的に支援を求めた防衛庁が自らこの問題を取り下げるという形で決着した。

結局この問題は統幕の地位の低さ・権限の弱さ、内局の政治的経済的妥当性を優先する姿勢、政治的リーダーシップの不在を指摘することができる。
またこの時点からすでに防衛費を対GNP比で総枠をかぶせるという発想が内局にすでにあったことも留意したい。

3、アメリカの東アジア戦略と日本
戦後のこの歴史は結局はアメリカがいかに「親米・穏健・安定的な日本」をどうやって実現するかの苦悩の記録である。在日地上軍の撤退や日本の軍事的自助努力をどこまで求めるか(やり口によっては対米反発を招き、中立や親ソムードを生みかねない)、日本のナショナリズムをどう扱うか、といった問題に代表される。
また日本をアジアにおける資本主義の成長モデルとして外交に用いるという考えもあった。

4、「吉田路線」と吉田茂
安保効用論に代表される米軍依存の軽武装・経済重視が歴代政権の主要ドクトリンとなったことは周知のとおりだが、端緒の吉田は後年においてはむしろ復興したからには相応の軍備を持ち、日本が地域的軍事安全保障へ参加することを説いている。
吉田は現代において単独防衛を成し遂げうる国はアメリカを含めて存在せず、今日においては集団的安全保障の時代であるとした。
一方で当時首相だった「吉田学校」の生徒たる池田は日米安保の非対称性の解消といった目標は視野の外にあり、「吉田路線」は吉田本人の思惑を離れていく。


戦後日本の防衛政策をめぐる相克が如実かつ丹念に描かれており、値段は高いが戦後日本の防衛政策に関心があるなら読んで損はない。
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