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「黒ワニとハーモニカ」別館 バンダイがマーズジャケットをプラモにしてくれるのを待つ日記

ロボットアニメをわりと好むヲタによるブログ。 たまに少しだけ防衛問題について喋ったりもします。 あとパワードレッド・ドレッドノートHのプラモ化と、コトブキヤが有澤の雷電をプラモにしてくれるのも待ってます。

「むしろ素人の方がよい: 防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換」佐瀬 昌盛

それまで首脳レベルでは日米安全保障体制をうたう言葉が交わされていたものの、実態としてそれを裏付けるものが何もなかったところに旧ガイドラインを制定するよう主導した、文教族の素人大臣、坂田道太の評伝。

いくつか非常に興味深い点があるので抜粋。
(ただし私は原資料を持っていないし、それを今後入手する目処も厳しいので抜粋の抜粋になることはあらかじめお断りしておく)

・坂田の私的懇談会である「防衛を考える会」の討議のまとめ、GNP1%枠について。
「自衛隊の人たちが、その責任を果たすために、防衛力を強化したいと望む気持ちは理解できるが、あらゆる事態に対応できる防衛力を平素から保持しようとすると、歯止めがなくなるおそれがある。わが国の防衛力は、そのような軍事的要請だけで判断するのは妥当とはいえない。
防衛費として、国民の支持が得られる限度は、GNPの1%以内が適当ではないだろうか。現在のように、経済成長が鈍化している時はもちろんんおこと、順調なときでも1%を超えるとなると、国民の共感を得るのは難しい。この数字には理論的な根拠はなく、事実上こうなったのかもしれないが、なんとなく、防衛費の適否をはかる物差しのような役割をはたしている」

防衛費1%枠問題は現在語られる時は完全に意義や意味を見失ってそれ自体が政治問題化して語られる節が強いのだが、(実際に「1%」という数値に防衛費の枠を設定することの根拠、そもそも防衛費に絶対的な対GNP比にのみ依拠する上限枠を設定することの是非などはひとまず置いて)「国民の理解を得られる程度の防衛費の規模とはどれくらいか?」という問題意識がある点については特筆に値するだろう。


・坂田が昭和50年11月1日に出した新聞広告から。
「街で自衛官をみかけたら、気軽に話しかけてみてください。
自衛隊も、21歳になりました。26万の隊員が、私たちの国を守る仕事に励んでいます。
この自衛隊について、あなたは日頃どんなことを感じていますか。いかがでしょう、町で自衛官をみかけたら、あなたの率直なご意見や疑問をぶつけてみてください。どんなことでもよろしいのです。たとえば、『なぜ、自衛隊に入ったのですか』『どんな仕事をしていますか』そんなことから聞いてみてください。自衛官は”制服を着た市民”として、自分の考えや経験を正直に話すでしょう。私は、彼らを信頼しています。あなたと自衛官とのふれあいの中から、自衛隊への理解が少しでも深められるなら幸いです。と同時に自衛隊も健全に育っていくものと考えております。ぜひ、率直な意見を交換しあってください
防衛庁長官 坂田道太」

「制服を着た市民」という西ドイツ再軍備にあたって用いられたワードを用いて(佐瀬はドイツ文学科出身の坂田だからそれを知っていた、としている)分かりやすく、自衛隊は異物ではないという点をアピールしようとしているのが興味深く感じるし、また今まったく同じ広告を出したとしても十分意義があると思えるくらいには非常に意義あることを説いているように思う。

・年刊化した最初の防衛白書の坂田による序文。
「はじめに
ようやく防衛白書ができあがった。昨年の暮れには出したいと作業を進めていたが、ほぼ一年かかってしまった。いざとりかかってみると思いのほか難渋した。一つには、防衛問題を積極的に提起して国民のものにしようとする意欲よりも、世間に問題を引き起こすまいとする配慮が先立つ、長年の防衛庁内にある消極的雰囲気にも原因があったように思う。
それは、戦後における自衛隊発足の経緯や、防衛問題が、とかく政治的にも社会的にも継子扱いをされてきた特殊な事情などを見ると、一面やむをえないことでもあったかもしれない。しかし今や、我が国の安全保障、防衛問題は、国政の上でも社会的にも、正しく位置づけられなければならない時期にきている。私は、防衛白書を世に問うことによって、我が国の防衛理念が国民に理解され、国会でも国民の間においても、防衛問題が活発に議論されるようになることを期待したのであった」

防衛白書の年刊化と英語版の同時発行を決めたのが坂田であるという点もそうだが、ここに明確に示されている、一貫して坂田が持っていた「自衛隊とその活動・政策をもっと国民に広く認知・支持してもらわなければならない」という観点、55年体制下から2014年の現在に至るまで日本の防衛行政に欠け続けたものだと思う。
この問題定義は今そっくりそのままもう一度出してもそのまま通用するように思う。 
特に個人的に、現在の第二次安倍政権による集団的自衛権解禁の進め方にきわめて露骨にこの視点を欠いていたと感じる。


ただ昭和51年の防衛大綱(いわゆる51大綱)策定過程の先行研究を「人間が作ったものであることを忘れたかのような無機質な諸論文」「人間・坂田の発想が色濃く滲んでいるのに、それを無視している」と称してこの本を書いたはいいが、今度はこれは坂田の人間性とそこからくる防衛庁長官としての個性的な活動ばかり語って、実際にどういう過程を経て防衛大綱が策定されたのかという政策論が完全にすっぽ抜けている。
「防衛官僚は基盤的防衛力の理論の精緻化には励んだが、国民説得は忘れてすべて政治家坂田に押し付けた」という表現がある上、「坂田の基盤的防衛力構想」という表現まで飛び出してくる。
一方でそもそも基盤的防衛力構想の生みの親は坂田ではなくその防衛官僚、具体的には久保卓也であることはほとんど語られず、漠然と「防衛官僚」という名前の無い誰かが生み出したかのように読める概念をいかに坂田が国民に伝えようとしたかばかりが熱弁されるばかりで、久保については最後になって唐突に「実は基盤的防衛力構想の生みの親は久保卓也だった」という一文が記されているだけで、その次の段落で「坂田はその久保を高く評価しており、早逝を惜しんだ」と語られて終わりになっている。
ここまでやってしまうとバランスを欠くというのを通り越して事実を曲げているようにも感じられる。
(ただし、政策策定過程を論じることを抜かして坂田の取り組み方のほうを重点的に語るということについては、あえてそういう方向で書く旨を佐瀬は本文中で明記している)

少なくともこの本だけを読んで坂田が長官にあった時代の防衛行政を理解した気になるのは著しく歪んだ認識をもたらすように思う。
また坂田の功績としてきわめて重要なはずの、肝心の旧ガイドライン策定までの政策決定過程はほぼ何も書かれてないという片手落ちも非常に気になるところ。

それと参考資料一覧がないのもひっかかる点(本文中に引用した文献はカッコ書きで引用元を正確に記載しているが)。

諸手を上げて絶賛は出来ない(他の資料と平行して読まないと正しい理解ができなくなる)が、一方で佐瀬がそこまでしてでも訴えたい「坂田の防衛庁長官としての姿勢」というのは非常に意義あるものなので、評価は難しい一冊。
「安全保障」田中明彦、「防衛計画の大綱と日米ガイドライン―防衛政策決定過程の官僚政治的考察」瀬端孝夫、また本文中で佐瀬も紹介した「国際秩序の変動と日米政策協調」武田悠、といった先行研究の書籍・論文と同時に参照するのが良いと思われる。
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集団的自衛権解禁について

・解禁すべきかすべきでなかったかの二択を問うなら(今後も日米安保体制を基板として日本の安全保障政策を行うなら)すべきとしか言いようがない話ではある。

・ただしそれには解禁するとどんな事態になるのかは絶対に国民に広く周知させておかねばならなかったはず。
具体的に言えば解禁するなら今よりはるかに自衛官の戦死の確率が高まるわけで、それを国民が理解しないまま「関係者だけがわかっていればいい」でゴリ押ししたところで、いざ海外派兵して戦死者が出れば簡単に政権と日本の防衛行政は揺らぐだろう。

・この「関係者だけがわかっていればいい」でゴリ押しされる防衛政策、というのがまさに「脱却すべき戦後レジーム」だったろうに。

・政府の説明も非常にヘタで、率直にもはや憲法9条を盾に対外軍事貢献を避けることは許されないから解禁すると言えばいいものを、なまじ反対派の批判を嫌って在外邦人の救出がどうのという小手先の理論武装でやっつけようとするから結局さらに批判を受けて逆に面倒なことになる。
これも日本の防衛行政の従来の轍を見事になぞってしまっている。

・もっとも反対派も「日本が直接攻撃される以外で日本が危機に陥る事態などあるはずがない」という聞いていて脱力のあまりひっくり返りそうな話や、「圧倒的な軍事力を持ち強力な報復が返ってくることがわかりきっている米国に攻撃を仕掛ける存在などない」というとても21世紀に言うこととは思えない救いがたい話、挙句の果てにはこの期に及んで「解禁すれば徴兵制復活の可能性」という三つ子の魂百までというような話、そういう理屈の立て方でもって反対の論説を張っていたわけで、結局55年体制以来の「とにかく憲法9条を順守してさえいれば戦争しなくて済む」というもはや今となっては誰も説得力を認めない話に相変わらずすがっていただけ。

・理屈になっていない解禁賛成論と理屈になっていない解禁反対論のぶつかり合いなのだから、あとはより強い権勢を握っているのはどちらの派かということでしかない。
押し切られるのは当然といえば当然ではある。

・ただいくら必要なことだったとしても、こういう決め方で決めるのはあらゆる意味で禍根を残す。