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「黒ワニとハーモニカ」別館 バンダイがマーズジャケットをプラモにしてくれるのを待つ日記

ロボットアニメをわりと好むヲタによるブログ。 たまに少しだけ防衛問題について喋ったりもします。 あとパワードレッド・ドレッドノートHのプラモ化と、コトブキヤが有澤の雷電をプラモにしてくれるのも待ってます。

連載第2回更新

連載記事、2節でサンフランシスコ講和条約まで書こうと思ってたら
とても尺が足りなくなって延びてしまった。
正直ナメてましたすみません。
 
閑話休題。
マガジンは愚にもつかない反戦漫画なんか載せたりするくらいなら
かわぐちかいじや福本伸行あたりを引っ張ってきて、麻生幾*とか
ボブ・ウッドワードの著作を漫画化させるべきだと思った今日この頃。 【“連載第2回更新”の続きを読む】
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「日米安保体制の歴史」第二回

第1章第2節
「続く占領と日米両国における安保体制の萌芽」
 
●米占領政策の転換-懲罰の対象から封じ込めの協力者へ
 日本の弱体化・民主化の推進を目指した初期占領政策が、冷戦の
開始と朝鮮戦争によって急転換することはよく知られている。
 トルーマン・ドクトリンとマーシャル・プランという冷戦史に
おける最初のターニングポイントとなる2つの出来事が起こった
1947年にはすでにトルーマン政権内部で占領政策転換の兆しが
見え始めるようになる。
 海軍長官ジェイムズ・フォレスタルは国務次官デイーン・アチソンや
陸軍長官ロバート・バターソン、前駐ソ大使アヴェレル・ハリマンら
との「ソ連との競争にわれわれが勝つ」ためにはどうすればいいかと
いう議論の中で、「日本やドイツや他の旧枢軸国を……仕事に復帰」
させる必要があると話している。
 国務省ではトルーマン・ドクトリン声明とともに設立された政策
企画部で従来の占領政策の転換が検討され始めており、共産主義勢力の
浸透を防ぐためにはアメリカは日本経済を「始動させ」、日本を防衛
協定によって西側に結び付けるべきであるという報告がなされた*。
また軍部でも陸軍省が48年5月から日本の限定的再軍備の検討に
入り、第8軍のアイケルバーガー中将が軽装備の15万人再軍備論を
述べた他JCSが49年3月、国防長官となったフォレスタル宛の
覚書で日本再軍備を提案している。
 この政権内部での政策転換が表だって伺えるようになったのは
1948年1月、サンフランシスコにおけるロイヤル陸軍長官の
演説などである。
 ロイヤルは次のように述べた。
「経済・防衛的に日本を弱体化する占領政策は通用しなくなった。
今は日本を経済・防衛的に復興自立させ、日本を反共の防波堤として
役立て、日本をアジアにおけるアジア封じ込め政策の協力者とする」
 この1948年当時、日本経済は敗戦による荒廃のさなかにあり
工業生産水準は1930年代中期の50%程度の水準でしかなく、
復興はまだまだ先の見えない話でしかなかったが、民主化と
一応の経済安定が達成されたとみられた時点で平和会議への道が
開け、51年の講和会議へとつながっていく。
 だが、その先には大きな障害が待っていた。
 
●講和問題の浮上と芦田書簡
 このころ、日本政府および有識者の間ではいかにすれば占領が
解除され講和条約が結ばれるかについて研究がなされていた。
 占領解除の条件として、ポツダム宣言には第12項に軍国主義の
排除と、平和的傾向を持つ責任ある政府が樹立されることという
項目が存在した。
 この2つの条件は、究極的にはアメリカ及び連合国の認識いかんに
かかっていたことは言うまでもない。
 しかし中国が国共内戦で混乱し、將介石の中国を中心としたアジア
政策が見直しを迫られるに至って対日講和が胎動し始める事になる。
 早くも1946年2月にはバーンズ国務長官によって対日講和は残り
18ヶ月以内になされるであろうという発言がなされ、翌年1月には
トルーマンが年頭教書で講和問題を示唆した上、さらに同年3月には
マッカーサーが早期講和論を表明するなど次第に占領解除の方向が
明確になってきた。
 そして米政府は7月、極東委員会を構成する11ヶ国に、対日講和
問題を審議する旨の提案を行った。
 しかしこの提案はソ連の反対に合うなどまとまることがないまま
終わり、米政府も講和推進をしばらく見合わせることとなる。
 その頃日本では片山内閣が成立し、同内閣で外相に就任した芦田均が
東西対立の激化の中で平和条約がどうなるか、日本の安全保障が
いかなるものになるかという点について外務省に検討させていた。
 当時芦田の周辺では国内治安は警察に、対外安全保障は国連に
依存する非武装路線が考えられていたが、国連機能不全の可能性も
考慮して芦田は一時帰国するアイケルバーガー中将に対して国務省宛に
以下のような草案を託している。
 
「1 米国の軍隊が平和条約の実行の監視に関連し日本国内に
駐屯する結果が日本の安全に対しもたらす影響。
かかる軍隊の駐屯が侵略の保障となることは疑いないところである。
2 米国と日本の間に特別の協定を結び日本の防備を米国の手に
委ねること。
いずれにしても日本に近い外側の地域の軍事的要地には米国の兵力が
十分にあることが予想される。
かかる特別協定の内容は日本の独立が脅威せらるるような場合
(これは太平洋における平和が脅威されることを意味する)米国側は
日本政府と合議の上何時にても日本の国内に軍隊を進駐すると共に
その軍事基地を使用できる。又必要の規定を作り日本国内の軍事基地の
建設、維持は極力米国側の要求を満足するように計る。かかる協定は
平素において日本の独立を保全する方法でありかつ万一の場合は
米国側が充分に日本の基地を利用し得ることであって又かかる協定が
ある限りは日本の独立を侵そうとする第三国直接アメリカに対し
敵対行為をするに等しいことになるからその行動を慎むであらう」
 
 この芦田の提案は、後の日米安保条約につながる重要な政策提示で
あった。
米政権内部で早期講和論が挫折していた以上この書簡がなんらかの
リアクションを引き起こすことはなかったものの、米ソ対立の激化で
国連の機能に期待をかけることが出来なくなっていく中で米国との
協定により日本の安全保障を確保しようという考えが(非公式とはいえ)
明確な文書として初めて登場したことになる。
 
●前方展開をめぐる米政権での講和問題の行き詰まり
 ソ連の反対などで対日早期講和が見送られた後、東アジアでは
大きく情勢が揺れ動いていった。
1948年頃には国共内戦で共産党が徐々に優勢となり、9月には
朝鮮半島において金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国が成立。
さらに翌49年1月には北京に人民解放軍が入城、10月には
中華人民共和国が成立し米国務省は正式に「中国失陥」を認める事に
なる。
 このようなアジア情勢の中でトルーマン政権は対日講和について
コンセンサスを得るのに難航していた。
国務長官アチソンらはトルーマンに、占領の継続は日本国民の反米
感情を高めてソ連の方へと押しやる恐れがあると警告したが、これに
対してJCSは中国の赤化を前にして日本から撤退する事は出来ないと
反論した。
JCSは日本の基地を「アジア大陸や隣接するソ連の島々に対して
軍事力を投じる際の重要な集結地域」と考えていた。
いかなる講和条約も米軍の自由を減じさせる以上、JCSは占領の
継続を望み、トルーマンに日本が再軍備を行って領土内部にアメリカが
永久的基地を設置することを認めるまでは講和に出ないことを薦め、
国防長官ルイス・ジョンソンも彼らに同調し講和条約延期を主張した。
 第二次世界大戦終結に従って世界各地に獲得していた基地の多くを
整理閉鎖・または返還することを迫られる中、アジアでの共産主義
勢力の勃興に対して太平洋艦隊の増強や太平洋軍の指揮系統改編など
アジア太平洋地域への関与増大に務めていた米軍部にとっては占領の
長期化所望は避け難い結論とも言えた。
 この前方展開のための基地必要論は後の日米講和交渉においても
きわめて大きな要素として反映され、最終的には日米安保条約として
結実することになる。
 そしてこの国務省と国防総省・JCSの対立はトルーマンが積極的に
論争を解決しようとはしなかったため、対日講和論は宙に浮いたままに
なってしまった。
 そこで登場するのがジョン・フォスター・ダレスである。
 
(第2節終わり)
 
次回第1章第3節
「講和条約締結と日米安保の成立」
に続く

注・前回で予告したタイトルと実際の第2節のタイトル及び内容が
異なっていますが、ご了承下さい。
このタイトルも実際には変更されることがあります。

参考資料
「日米関係とは何だったのか」 マイケル・シャラー、2004
「安全保障 戦後50年の模索」 田中明彦、1997
「米国の対日政策」 川上高司、2001
「米軍の前方展開と日米同盟」 同上、2004
「戦後日本外交史」 五百旗頭真、2002 【“「日米安保体制の歴史」第二回”の続きを読む】

大野防衛庁長官、基地共同使用を提案=米国務長官と会談

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050319-00000036-jij-pol
 大野功統防衛庁長官は19日午後、ライス米国務長官と都内で
会談し、在日米軍再編に関し、地元住民の負担軽減のため「今後、
米軍基地の自衛隊との共同使用を検討することについて支持を
得たい」と、米軍基地の日米共同使用を提案した。
 
 
 共同使用での間接的基地統合による地元住民への負担軽減という
だけでなく、2代目防衛大綱ですでに冷戦以来の単独防衛戦略を
放棄して現代欧州的な共同防衛戦略へと路線を大きく転換しているに
しては日米間の相互連携性に欠ける体制になっている現状(*)の
是正としても悪くない提案と言える。
 共同使用ともなれば共同作戦の立案計画作業に対する慣熟や
訓練・兵站の共通性が向上することを期待できる。
 ただこの点を強調しすぎると逆に米側から自衛隊基地の使用権を
要望されて地域によってはかかる基地負担が増える可能性も考慮する
必要があるかもしれない。 【“大野防衛庁長官、基地共同使用を提案=米国務長官と会談”の続きを読む】