「黒ワニとハーモニカ」別館 バンダイがマーズジャケットをプラモにしてくれるのを待つ日記

ロボットアニメをわりと好むヲタによるブログ。 たまに少しだけ防衛問題について喋ったりもします。 あとパワードレッド・ドレッドノートHのプラモ化と、コトブキヤが有澤の雷電をプラモにしてくれるのも待ってます。

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「安全保障政策と戦後日本1972〜1994 記憶と記録の中の日米安保」河野康子, 渡邉昭夫編著

まずいきなり蛇足から始まってしまってなんとも奇妙ではあるが、「かつて戦後日本では防衛政策上、政府が立場を明らかにするだけで問題となる時期があった」という一文について。
これそのものは特に異論はないが、引き合いに出されているのが三矢研究問題であることには違和感を感じる。
三矢研究自体も当時から見てもこれが政治的正統性を得られると思っていたのだとしたら統幕の感覚を疑わざるをえない代物だが、防衛研修所(現・防衛研究所)の中で行われた先行研究である「研修資料別冊第175号 自衛隊と基本的法理論」を見るとごく普通に広い範囲に渡って国民の自由権を停止させる旨が明記されており(どちらかと言えば明治憲法における戒厳令の引き写しか?)、一体どういうつもりでいたのかますます疑わしくなる代物である。
これが政治的に批判を浴びたのは当然ではなかったか。

揚げ足取りはさておき本題に入る。
意外に感じたのはすでに70年台の時点で防衛・外務官僚にとっては米軍基地縮小・環境問題対策(当時環境問題という言葉そのものはなかったが)が解決すべき問題として認識されていたという指摘である。
春原剛「同盟変貌」でも日本での米軍再編協議を世界全体の米軍再編モデルとして扱いたい米側に対し、ひたすら基地縮小・負担軽減を追求する日本側のすれ違いがあったことが指摘されていたが、つまり(結果が伴わないためあまりそういう印象を受けず、特に沖縄県サイドからは長年「本土は米国の言いなりだ」という強い批判を招き続けているが)防衛・外務官僚たちにとっては長年基地縮小・負担軽減が懸念事項であったということになるのではないだろうか。
とはいえ上述の通り結果が伴っていない以上、沖縄が不満を抱くのは避けられないことだと言わざるをえないのも事実ではあるが。

また旧ガイドラインの担い手の一人である久保卓也の来歴・思想的背景も興味深かった。
ただ坂田道太防衛庁長官-久保事務次官(-西廣-宝珠山)ラインで生まれた旧ガイドライン・51大綱であるが、佐瀬昌盛「むしろ素人の方がよい: 防衛庁長官・坂田道太が成し遂げた政策の大転換」では坂田の役割が強調され久保はほぼ言及がなく、逆にこの本では久保への記述ばかりで坂田への言及が少ない。
同時期に防衛行政への説明責任と広範な国民的支持を重視した二人の人間による産物なのだが、坂田・久保間でどのような意見交換・やり取りがあったのかはまだ明らかでない。
この点今後の研究が待たれる。
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「集団的自衛権の思想史──憲法九条と日米安保」篠田英朗

集団的自衛権と憲法にまつわる学説や政府の議論の変遷、またそれに関わる話を取り扱った本。

現行の内閣法制局の解釈や憲法学の議論における「自衛権」の概念、つまり現在合憲であるとされているのは、政府が行う施策をさして自衛と呼ぶのではなく、擬人化された国家もしくは国民自身が直接立ち上がることを自衛と呼んでいるという点や、第2次安倍内閣で実際に行われた閣議決定は実は安保法制懇の論理を明確に否定しているという点など、非常に興味深い指摘がいくつか見られる。

また評者が長年抱きつつもうまく論理化・言語化できなかった点を突かれ、ようやく胸のつかえが降りた思いもある。
水口宏三・社会党議員の「憲法典には自衛権については否定も肯定もされていない。これは憲法論ではなく政策論ではないのか」という答弁や、横田喜三郎・最高裁長官の「安保条約に対して、実質論で争うのではなく憲法に違反すると言って争うのは政治の悪癖」という意見がそれで、特に後者は今となっては何らかの防衛政策における新たな政府の行為が取られるたびに違憲訴訟が自動的に発生し、そして実質論として安全保障論や防衛政策論には入ることなく「安保か9条か」の観念的な議論でのみ争われそれが続くということに極めて辟易している評者にとって非常に印象に残る指摘である。

「『最低限』の自衛権の概念によって自衛隊が擁護され、日米安保条約が擁護される過程の中で、『最低限』なことが合憲で、『最低限』ではないものが違憲だという発想が、日本の憲法をめぐる議論に広範に染みわたっていった。単に個別的自衛権が合憲で、集団的自衛権が違憲だ、という『線引き』が便宜的になされただけではい。海外で行うような活動は『最低限』とは言えず、日本国内で日本の事柄に専心することが『最低限』で合憲だ、という理解が、憲法解釈の通説として広まった。そこではもはや国際協調主義にしたがった行動が憲法の理念に合致し、国際協調主義に反することが憲法の理念に反する、といった議論を進める余地は全くなくなった」

本書の末尾において投げかけられた問題提起であるが、この「個別的自衛権なら合憲であるが、集団的自衛権は違憲である」とする普及した見方について、もう一度考え直してみるべきだろう。

「防衛法研究」2016

「国家非常事態における破壊活動防止法による対処とその憲法上の限界」と「非常事態における基本的人権と日本国憲法
   ―基本的人権の停止の否定という基本的視点―」の2論文を読むべく購入。

前者は正直な話、論外としか言い様がない。
21世紀にもなって有事における予防拘禁や外国人留置の必要性を訴える論文というのは、著者は勿論こんなものを学会誌に載せる防衛法学会の見識も問われる。
元よりこの論文の著者はどうやら福祉が専攻のようなのだが、それにしてもひどすぎる。

後者はタイトルからしてそこまで酷いことにはならないとは思っていたがそれなりの内容。

「非常事態における、基本的人権への例外的な介入には、基本的人権の停止を伴うものと、基本的人権の停止を伴わないものがありえ、日本国憲法は、前者は排除されているが、後者は必ずしも排除されないことになる。
むろん、停止を伴わない、基本的人権の特例的制限であれば、無制限に許容されるというわけではない。高橋和之が正当にも述べたように、日本国憲法は「有事に対処するための法制を法律で定めることまで禁止したと解すべきではなく、人権保障や権力分立を完全に停止するような内容でないかぎり、特定の場合の人権制限や行政権の強化を法律で定めることは許されよう。いわゆる『有事法制』(「武力攻撃事態法」「国民保護法」「米軍行動円滑化法」等から成る)は、かかる観点から吟味するものである」、
そして、上述の非常事態関連法律は、まさに「事の性質上国民の人権(財産権・居住移転の自由等)の制限を伴うものであり、その規定の仕方と運用が「公共の福祉」により正当化しうる範囲内にとどまるのか、今後の検討課題に残されている」。この場合、非常事態においても制限が許されない基本的人権としていかなるものがありうるかを精査することも、今後の検討課題に委ねられているといえよう」

またこちらの論文は明治憲法における国家非常権についても解説しているが、かなり広範に渡って自由権の停止を認めていることに今更驚く。
これの場合は「今はない過去の規定の解説」のみならず、三矢研究に先立つ研究として防衛研修所(現防衛研究所)における有事法制研究「自衛隊と基本的法理論」を見ると、旧憲法下の戒厳令に関する規定をそのまま引用しているとしか思えない部分があり、必ずしも過ぎ去った遺物の話とは言い難い。
同研究については小針司氏が指摘するように現行憲法との整合性もすこぶる疑わしく、さすがにこれは当時の自衛隊の法的感覚について疑問を抱かざるをえない。

「韓国の軍隊―徴兵制は社会に何をもたらしているか」尹 載善

タイトル通り、韓国において徴兵制がどのように受容されているかを扱った本。
ただどちらかというと徴兵制を体験した個々人の体験談を紹介することに分量を割いており、評者が期待していた政軍関係や社会と兵役制度の接続の具合についてはそれほどには論じられていなかったのは個人的には残念だった。
それでも「徴兵制を体験した一般階層の青年が、後に上流階級の人間は様々な手口で兵役を忌避したことを知り反感を強めている」という記述は非常に興味深かった。
戦後西ドイツでは勿論最大の理由はワルシャワ条約機構軍の脅威ではあるが、別の理由として(軍人の、ではあるが)社会的な統合を期待して徴兵制という兵役制度を導入したが、韓国ではむしろ徴兵制は社会的な統合につながらず、逆に分断を招いているという点は今後の比較研究などを待ちたい点。

「自治研究 2016年2月号 『覚え書きー集団的自衛権の行使容認を巡る違憲論議について』」藤田宙靖

長島昭久議員のツイートで紹介されたことで存在を知り、最寄りの本屋にて取り寄せを頼んで手に入れた一冊。

どういう内容なのかと思いタイトルで検索してみたところ水島朝穂のホームページで(批判のために)長く引用されており、非常に興味を持ってさっそく注文したもの。余談ながらその際水島朝穂のコメントが非常に邪魔で(何しろ水島朝穂の書くことである)、読むのが大変ではあった。
なんでも専門筋では結構な話題になっているとのことで、注文時にも「すでに品薄だが個人で一冊注文するならまだ受け付けられます」という旨。

評者は残念ながら法学部出身というわけではなく専門の教育を受けてはおらず、独学でいくつかの防衛法に関する本を読みかじったに過ぎないので、藤田宙靖氏が凡例として引用する行政法上の過去の実例などについては完全に門外漢のため意味を解せない。
また政府・政府関係者の見解に同意する部分と反論する部分、違憲説に賛成する部分と批判する部分が交互に入り混じっており、なかなか理解するのが難しい論文となっている。
ただ「内閣法制局は憲法の番人ではない」といった論述や、「時のいち内閣が憲法解釈を従来のものから変更すること」の「法的安定性」に関する論などは従来の違憲説に対して(安保法制自体は評者自身も違憲ではないかという強い疑いを持ちつつも)非常な違和感を感じてはいたが、無学ゆえに明確に言語化・論理化できなかったところを見事に丁寧に述べており、非常に腑に落ちるものである。
またこの藤田論文については何よりも憲法学者の「政治化」を強く懸念しているのではないかという印象を抱いている。

すでにAmazonでは在庫切れ、出版元にも在庫僅少の誌ではあるが、防衛問題に関心がある論者には広く読まれて欲しいと願う一寄稿である。
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