天皇誕生日(の振り替え休日)で休みですが俺はこれから仕事に行きます。
と書くとなんかミョーなニオイを帯びてくるから不思議。
でも昔のサザえさんで、現役の学生とその父親が
「建国記念日反対!俺は登校するぞ!」
「(玄関には日の丸が飾られている)バカなことはやめんか!」
なんて言い争ってるネタもあったっけなぁ。
天皇誕生日
創価学会の教本を借りてきた
中学以来の友人がなぜか急にハマってしまい困惑気味だったのですが、試験対策にと教科書を読んでいるのを見て「ちょっとそれ見せて」と見せてもらったところ、非常に(違う意味で)興味深い内容で頼んで借りてきました。
神学上の教義うんぬんは関心ないので、とりあえず思想上非常に興味をそそられた2つの特徴について。
1、大本の教義(この場合日蓮の教義)に対する独占的解釈権の主張
自分たちの解釈のみが唯一無二である、と明言されている。
この「同一教義の異解釈を認めない」という点はスターリン主義やそのデッドコピーたる東欧人民民主主義、イスラム各派の過激原理主義に通じるものがある。
そして創価の場合はさらに一歩も二歩も踏み込んで、「他の解釈・宗派は真理を曲げた曲解」であり、「他派の僧侶はことごとく権力と癒着し堕落腐敗した曲学阿世の徒」と明確に定義され、さらに「●●は架空の仏を崇めたてる邪道、××は個人の悟りのみを追及するエゴイズムに基づく」と他派を明文で名指しして全否定されている。
いかなスターリン主義とて「都合の悪い異論に対して全否定で答える」ことはあっても、最初から異派をこれほど明確にきっぱりと全否定することを自らの主義に前提として織り込むことはしなかったということを考えると非常に興味深い。
(今更こんなこと追記するのもバカみたいだが、だからスターリン主義は悪くないとかそんなことが言いたいわけではない。念のため)
2、他派からの批判を「批判されることはすなわち我々の教義が真理であることの証明」と位置づけている
創価学会では法華経の行者には3種の迫害者が存在するとし、
1、仏法に無知な衆生
2、真理を曲解して自分たちが優れていると思い込み正法の持ち主(ここでは法華経徒)を迫害する僧侶
3、権力と癒着し不当に弾圧しようと計る他派の高僧
この三種の強敵を招いたことをもって日蓮は自身が真理の徒であることの証明である、とみなした。
「批判はすなわち自己の正当性の証明である」というのは思想上において空前絶後の発想と呼んでも差し支えないのではないか。個人レベルの『論客』『運動家』ならともかく、まがりなりにも一定の大系化・理論化を済ませたある程度の規模の集団が、教義としてこんなテーゼを織り込むのは非常に稀。昨今世界を賑わせる、反米かぶれのイスラム過激原理主義ですらそこまで自らの正当性に対する絶対的確信には至らない。
確かに創価はある種の境地には至っているとも思える。
「創価はやばい」とは(政治に関心を有する)ネチズンにとって半ば常識と化していますが、どうやばいのかを知る機会がなかなかめぐってこなかったので今回教本を借りてくるという機会を得たのは僥倖。
確かにこれは危ない、としか言いようがない。
気になってその友人に口頭で聞いてみたんですが、
「日蓮の直系が創価学会なんだっけ?」
「うんそう。日蓮大聖人の直系はウチだけで、ほかはいろいろ独自にやってる」
とのことで。さすがに言い回しはソフトですが見事に教えを真に受けている。
しかしざっと教本に目を通して、「興味深い」を連呼する俺でしたが、どういう意味で「興味深い」と言っていたのかはおよそ知らんだろうなぁ、彼。
ただ、いくら彼が歴史や政治・政治思想には関心がないパンピーだと知ってはいても、実際に目の前で「いやぁ、これはスターリニズムに通じるものがあるねえ。とても面白いよ」なんて言ってみたりしたのは後から考えると分の悪い賭けだったかもしれんなw
万が一知ってたらどうなってたやら。
……そういや、創価のこういう教義って本家日蓮宗の教義からはどれくらい離れてるんだろう?
大本の日蓮宗自体も過激な部分を含んでいる、みたいな話は聞いたことがあるが。
神学上の教義うんぬんは関心ないので、とりあえず思想上非常に興味をそそられた2つの特徴について。
1、大本の教義(この場合日蓮の教義)に対する独占的解釈権の主張
自分たちの解釈のみが唯一無二である、と明言されている。
この「同一教義の異解釈を認めない」という点はスターリン主義やそのデッドコピーたる東欧人民民主主義、イスラム各派の過激原理主義に通じるものがある。
そして創価の場合はさらに一歩も二歩も踏み込んで、「他の解釈・宗派は真理を曲げた曲解」であり、「他派の僧侶はことごとく権力と癒着し堕落腐敗した曲学阿世の徒」と明確に定義され、さらに「●●は架空の仏を崇めたてる邪道、××は個人の悟りのみを追及するエゴイズムに基づく」と他派を明文で名指しして全否定されている。
いかなスターリン主義とて「都合の悪い異論に対して全否定で答える」ことはあっても、最初から異派をこれほど明確にきっぱりと全否定することを自らの主義に前提として織り込むことはしなかったということを考えると非常に興味深い。
(今更こんなこと追記するのもバカみたいだが、だからスターリン主義は悪くないとかそんなことが言いたいわけではない。念のため)
2、他派からの批判を「批判されることはすなわち我々の教義が真理であることの証明」と位置づけている
創価学会では法華経の行者には3種の迫害者が存在するとし、
1、仏法に無知な衆生
2、真理を曲解して自分たちが優れていると思い込み正法の持ち主(ここでは法華経徒)を迫害する僧侶
3、権力と癒着し不当に弾圧しようと計る他派の高僧
この三種の強敵を招いたことをもって日蓮は自身が真理の徒であることの証明である、とみなした。
「批判はすなわち自己の正当性の証明である」というのは思想上において空前絶後の発想と呼んでも差し支えないのではないか。個人レベルの『論客』『運動家』ならともかく、まがりなりにも一定の大系化・理論化を済ませたある程度の規模の集団が、教義としてこんなテーゼを織り込むのは非常に稀。昨今世界を賑わせる、反米かぶれのイスラム過激原理主義ですらそこまで自らの正当性に対する絶対的確信には至らない。
確かに創価はある種の境地には至っているとも思える。
「創価はやばい」とは(政治に関心を有する)ネチズンにとって半ば常識と化していますが、どうやばいのかを知る機会がなかなかめぐってこなかったので今回教本を借りてくるという機会を得たのは僥倖。
確かにこれは危ない、としか言いようがない。
気になってその友人に口頭で聞いてみたんですが、
「日蓮の直系が創価学会なんだっけ?」
「うんそう。日蓮大聖人の直系はウチだけで、ほかはいろいろ独自にやってる」
とのことで。さすがに言い回しはソフトですが見事に教えを真に受けている。
しかしざっと教本に目を通して、「興味深い」を連呼する俺でしたが、どういう意味で「興味深い」と言っていたのかはおよそ知らんだろうなぁ、彼。
ただ、いくら彼が歴史や政治・政治思想には関心がないパンピーだと知ってはいても、実際に目の前で「いやぁ、これはスターリニズムに通じるものがあるねえ。とても面白いよ」なんて言ってみたりしたのは後から考えると分の悪い賭けだったかもしれんなw
万が一知ってたらどうなってたやら。
……そういや、創価のこういう教義って本家日蓮宗の教義からはどれくらい離れてるんだろう?
大本の日蓮宗自体も過激な部分を含んでいる、みたいな話は聞いたことがあるが。
「美しい国」発信へ有識者会議=座長に平山氏、4月に設置−政府
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070323-00000082-jij-pol
政府は23日、安倍晋三首相の掲げる国家像「美しい国、日本」を内外にアピールするプロジェクトを始めるため、4月上旬に美しい国づくりに関する有識者会議を設置することを決めた。日本画家の平山郁夫前東京芸大学長が座長に就任する予定。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
安部首相の「美しい国」アピールのための会議に平山郁夫とはどういう人選か。
ロボットアニメで例えるならば河森正治が「メカアクションを魅せる作品」のために演出へ今川泰宏を呼ぶようなものだ。
要するに水と油というか。少なくとも安部首相と平山郁夫の国家観では相当な開きがあると思うんですが、どういうつもりなんだろう。
政府は23日、安倍晋三首相の掲げる国家像「美しい国、日本」を内外にアピールするプロジェクトを始めるため、4月上旬に美しい国づくりに関する有識者会議を設置することを決めた。日本画家の平山郁夫前東京芸大学長が座長に就任する予定。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
安部首相の「美しい国」アピールのための会議に平山郁夫とはどういう人選か。
ロボットアニメで例えるならば河森正治が「メカアクションを魅せる作品」のために演出へ今川泰宏を呼ぶようなものだ。
要するに水と油というか。少なくとも安部首相と平山郁夫の国家観では相当な開きがあると思うんですが、どういうつもりなんだろう。
東京・中日新聞 2/5社説「敗れる前に目覚めよ」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20060205/col_____sha_____001.shtml
目をしっかり開け、歴史のフィルターを通して今を見つめなければ、正しい判断も進歩も生まれません。戦艦大和で散った人たちの悲痛な叫びが聞こえます。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。…本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外に日本がどうして救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺(おれ)たちはその先導になるのだ。まさに本望じゃないか」
一九四五年四月、生還の見込みがない沖縄海域への特攻出撃を前に、戦艦大和の艦内で死の意味をめぐり煩悶(はんもん)、激論する同僚たちを、臼淵磐大尉はこう言って沈黙させました。
■必敗を覚悟した大和特攻
もし、この臼淵大尉が昨今の日本社会を見たら何と言うでしょう。
大和の特攻は、制海、制空権を奪われ、敗戦間近いことが明らかな情勢下で、片道分の燃料しか与えられず、戦闘機の護衛なしに臨む戦いです。合わせて三千人を超える将校、下士官、兵士たちの誰もが「必敗」を覚悟していました。
臼淵大尉は死を美化したのではありません。科学的、合理的思考を放棄し、誤った精神主義で無謀な戦争を始め破滅に導いた国の指導者を暗に批判したのでしょう。そして、日本人がその愚に気づいて目覚めることに、自分たちの死の意味を求めたのでしょう。
彼の発言には深い深い思いが込められていました。目前の戦闘に負ける意味だけではなく、「失敗」によって目覚め、教訓を得ることの重要性の指摘です。
数少ない生還者の一人、吉田満氏(当時少尉)の名著「戦艦大和ノ最期」にこの場面は感動的に描かれています。昨年暮れから正月にかけて百数十万人の観客を集めた映画「男たちの大和」でも、かなりの時間を使って紹介されました。
■継承されない先人の教訓
しかし、大尉役の元プロ野球選手の未熟な演技、大尉の言葉の重さに気づいていそうもない平板なセリフ回しでは、大事なメッセージが伝わりません。スクリーンの前の人々はほとんど無反応でした。
観客、とりわけ若者たちには「敗れて目覚め」た先人の教訓が継承されていないように見えました。
継承していないのは若者だけではありません。侵略戦争に駆り立てた責任者を、駆り立てられた人々と同列に祭っている靖国神社に参拝し、中国などからの批判に「罪を憎んで人を憎まず」と開き直った小泉純一郎首相に至っては、目覚めてもいないと言わざるを得ません。
大和に特攻作戦を伝達にきた連合艦隊参謀長に、大和とともに出撃する駆逐艦の若手艦長が迫ります。
「なぜ連合艦隊司令長官らは防空壕(ごう)から出て作戦の陣頭指揮をとらないのか」
このシーンには現在の改憲論議が重なります。自衛隊を自衛軍にして海外派兵も可能にする自民党の「新憲法草案」をつくったのは、自らは銃をとらない国会議員たちでした。いつの世も犠牲を強いる側は大抵、安全地帯にいるのです。
米軍の猛攻で沈んでゆく艦内で、兵士が「命をかけて戦ったが何も守れなかった。家族も、故郷も…」とつぶやきます。
これに対し、自民党草案の前文に国民が守るべき対象として掲げられたのは「帰属する国や社会」です。“滅私奉公”を強制されたあの時代でさえ兵士たちが守ろうとした、家族のことには触れていません。
歴史研究家の半藤一利さんはベストセラーとなった自著「昭和史」について「歴史を振り返りつつ読者に伝えたかったのは“今を見る目”をしっかり持つことだった」と語り、日本人が目をきちんと開くよう求めています。
自由にものが言えなかった戦時中と違って言論の自由も参政権も保障されています。土壇場で「なぜ?」「そんな!」と後悔しないように、有権者、特に今後の日本を背負う若者はもっと声をあげましょう。
学ぶべきは古いことだけではありません。自民党は九・一一総選挙で虚業家だった堀江貴文ライブドア前社長の生き方を推奨モデルとして宣伝し、同調した有権者も少なくありません。バブル経済崩壊で苦い思いをしたのはつい最近なのに…。
改革の旗手のように振る舞う竹中平蔵総務相(当時金融財政担当相)が同容疑者の応援に駆けつけたのは象徴的でした。社会的弱者への配慮より強者の自由を優先し、過度な格差拡大も放置する−堀江容疑者の考え方と小泉内閣の改革路線には共通点があるからです。
■今度こそ…のメッセージ
昭和の初期、革新官僚、革新将校と呼ばれた人たちが日本をしだいに泥沼へ引きずり込んでいった、歴史上の事実を思い起こします。
臼淵大尉のメッセージが「今度こそ敗れる前に目覚めよ」と聞こえます。改憲、改革の連呼による集団催眠からさめ、改や革の字に潜む真実を見極めなければなりません。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「革新将校」「革新官僚」の直系に位置する、未だにアジア主義の夢から覚めない連中の口から出た文章なのが最大のポイント。
文字通り、「目覚めてもいないと言わざるを得ません」。
菊水作戦批判がいかにもとってつけたようなきわめて浅い切り口なのも気になるといえば気になるが。
海軍の名誉と伝統のために死ねと書かれた作戦発起文と、それを見て軍事的合理性のなさに激怒したある参謀の話くらいは引用してもらいたいものだ。
……ところで2005・9・11は彼らにとっての敗北ではないというのだろうか?
その意味でも「目覚めてもいないと言わざるを得ません」。
目をしっかり開け、歴史のフィルターを通して今を見つめなければ、正しい判断も進歩も生まれません。戦艦大和で散った人たちの悲痛な叫びが聞こえます。
「進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。…本当の進歩を忘れていた。敗れて目覚める、それ以外に日本がどうして救われるか。今目覚めずしていつ救われるか。俺(おれ)たちはその先導になるのだ。まさに本望じゃないか」
一九四五年四月、生還の見込みがない沖縄海域への特攻出撃を前に、戦艦大和の艦内で死の意味をめぐり煩悶(はんもん)、激論する同僚たちを、臼淵磐大尉はこう言って沈黙させました。
■必敗を覚悟した大和特攻
もし、この臼淵大尉が昨今の日本社会を見たら何と言うでしょう。
大和の特攻は、制海、制空権を奪われ、敗戦間近いことが明らかな情勢下で、片道分の燃料しか与えられず、戦闘機の護衛なしに臨む戦いです。合わせて三千人を超える将校、下士官、兵士たちの誰もが「必敗」を覚悟していました。
臼淵大尉は死を美化したのではありません。科学的、合理的思考を放棄し、誤った精神主義で無謀な戦争を始め破滅に導いた国の指導者を暗に批判したのでしょう。そして、日本人がその愚に気づいて目覚めることに、自分たちの死の意味を求めたのでしょう。
彼の発言には深い深い思いが込められていました。目前の戦闘に負ける意味だけではなく、「失敗」によって目覚め、教訓を得ることの重要性の指摘です。
数少ない生還者の一人、吉田満氏(当時少尉)の名著「戦艦大和ノ最期」にこの場面は感動的に描かれています。昨年暮れから正月にかけて百数十万人の観客を集めた映画「男たちの大和」でも、かなりの時間を使って紹介されました。
■継承されない先人の教訓
しかし、大尉役の元プロ野球選手の未熟な演技、大尉の言葉の重さに気づいていそうもない平板なセリフ回しでは、大事なメッセージが伝わりません。スクリーンの前の人々はほとんど無反応でした。
観客、とりわけ若者たちには「敗れて目覚め」た先人の教訓が継承されていないように見えました。
継承していないのは若者だけではありません。侵略戦争に駆り立てた責任者を、駆り立てられた人々と同列に祭っている靖国神社に参拝し、中国などからの批判に「罪を憎んで人を憎まず」と開き直った小泉純一郎首相に至っては、目覚めてもいないと言わざるを得ません。
大和に特攻作戦を伝達にきた連合艦隊参謀長に、大和とともに出撃する駆逐艦の若手艦長が迫ります。
「なぜ連合艦隊司令長官らは防空壕(ごう)から出て作戦の陣頭指揮をとらないのか」
このシーンには現在の改憲論議が重なります。自衛隊を自衛軍にして海外派兵も可能にする自民党の「新憲法草案」をつくったのは、自らは銃をとらない国会議員たちでした。いつの世も犠牲を強いる側は大抵、安全地帯にいるのです。
米軍の猛攻で沈んでゆく艦内で、兵士が「命をかけて戦ったが何も守れなかった。家族も、故郷も…」とつぶやきます。
これに対し、自民党草案の前文に国民が守るべき対象として掲げられたのは「帰属する国や社会」です。“滅私奉公”を強制されたあの時代でさえ兵士たちが守ろうとした、家族のことには触れていません。
歴史研究家の半藤一利さんはベストセラーとなった自著「昭和史」について「歴史を振り返りつつ読者に伝えたかったのは“今を見る目”をしっかり持つことだった」と語り、日本人が目をきちんと開くよう求めています。
自由にものが言えなかった戦時中と違って言論の自由も参政権も保障されています。土壇場で「なぜ?」「そんな!」と後悔しないように、有権者、特に今後の日本を背負う若者はもっと声をあげましょう。
学ぶべきは古いことだけではありません。自民党は九・一一総選挙で虚業家だった堀江貴文ライブドア前社長の生き方を推奨モデルとして宣伝し、同調した有権者も少なくありません。バブル経済崩壊で苦い思いをしたのはつい最近なのに…。
改革の旗手のように振る舞う竹中平蔵総務相(当時金融財政担当相)が同容疑者の応援に駆けつけたのは象徴的でした。社会的弱者への配慮より強者の自由を優先し、過度な格差拡大も放置する−堀江容疑者の考え方と小泉内閣の改革路線には共通点があるからです。
■今度こそ…のメッセージ
昭和の初期、革新官僚、革新将校と呼ばれた人たちが日本をしだいに泥沼へ引きずり込んでいった、歴史上の事実を思い起こします。
臼淵大尉のメッセージが「今度こそ敗れる前に目覚めよ」と聞こえます。改憲、改革の連呼による集団催眠からさめ、改や革の字に潜む真実を見極めなければなりません。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
「革新将校」「革新官僚」の直系に位置する、未だにアジア主義の夢から覚めない連中の口から出た文章なのが最大のポイント。
文字通り、「目覚めてもいないと言わざるを得ません」。
菊水作戦批判がいかにもとってつけたようなきわめて浅い切り口なのも気になるといえば気になるが。
海軍の名誉と伝統のために死ねと書かれた作戦発起文と、それを見て軍事的合理性のなさに激怒したある参謀の話くらいは引用してもらいたいものだ。
……ところで2005・9・11は彼らにとっての敗北ではないというのだろうか?
その意味でも「目覚めてもいないと言わざるを得ません」。
映画『サラフィナ!』
アフリカ史の講義で視聴。
アパルトヘイトに立ち向かう高校生たちの姿を描いたドキュメンタリー風の映画。
その高校生たちによる反アパルトヘイト運動はこんな感じ。
・学校にモロトフカクテルを放る。
・日々の生活に汲々としている一般大衆を「敗北主義者め」と罵り、白人の店で買い物をしようとする婦人を強引にボイコットに付き合わせようと買い物袋を引き裂く
・父親が死んでしまったので白人宅で働きひとりで家計を支える母親を無気力!と罵る
・「ナポレオンは冬を甘く見ていた上、ロシアの民衆が家を焼くという行動に出たので負けた」という話を聞いて
「民衆が軍を倒せる!」
「俺たちも焼くぞ!」
「そうだ!」
「焼くぞ!焼くぞ!焼くぞ!焼くぞ!」
と大盛り上がり
・大勢で徒党を組んで歌いながらデモ行進。兵隊が銃を構えて解散しろ!と迫るがまったく気にも止めない、
と思いきや兵隊が本当に発砲したとたん全員一目散に逃げ出した。
その後逃走したデモ隊は店に石を投げつけたり(兵隊を乗せていない)装甲車を襲撃したり、そこらへんに止まっているバスやトラックにモロトフカクテル投げつけたり投石したりひっくり返したり。
・白人の官憲として自分たちを弾圧していた黒人警官を、ある日仲間がまた彼に手酷くやられたことをきっかけとしてついにリンチにかけ、生きたままガソリンぶっかけ火あぶりに。
それが原因で捕まって刑吏に「生きたまま人が何も焼かれることについて何も思わないのか」と聞かれて「何も」と答えた直後、自分たちに平等やアフリカの歴史を教えてくれた教師が思想犯罪で捕縛され拷問死したと聞かされる。
それを聞いて呆然と
「殺すことはなかったのに…」
その矛盾は「やつらが憎しみを教えたのだ」という理論で万事解決。
「私は戦いや憎しみが嫌いだし、人は殺せない」という恩師(その恩師もナポレオンは民衆に敗れたのだ!と脱力するようなことをぬかす人だったりするが)の教えはどこへやら。
つまり彼ら彼女らはナロードニキ、中国国民党、朝鮮南労党、日本赤軍Etc…といった根付けなかった革命家たちが持っていた特徴、
・闘争対象の選別が場当たり的で合理性に欠ける
(学校を燃やすことが反アパルトヘイト完遂とどう関係するのか?)
・無関心な一般大衆を引き込むということに対してあらゆる意味でまったく無理解・無頓着である
・先駆者たちの例を甘くみる、歴史からの引用が杜撰きわまりない
(ナポレオンを破った焦土戦術で焼かれたものは"憎い白人が作った学校という名の監獄"ではない。自分たちの生まれ育った家である)
・ちょっとしたきっかけでお祭り気分になるが、相手がおとなしくしているうちだけで本気になって冷や水を浴びせかけられたら一発ですくみ上がるという暴徒丸出しの姿勢
・結局「憎い相手」と同水準の行為を働くことで一般大衆をひきつけるための論理的優越性を失い、かつ官憲に弾圧の口実をプレゼント
といった点をことごとく兼ね備えていた。
もしこれが南アフリカの黒人による反アパルトヘイト運動の本当の姿を映し出している映画であったとするなら(できれば黒人は皆マーティン・ルーサー・キングであるという幻想に浸っていたいが)、「なぜアパルトヘイトはあれほど長く続いたのか」という個人的疑問に対する回答のひとつを垣間見たことになるのかもしれない。
とくに(何を焼くことになるのか分かっているとはとても思えない調子で)「焼くぞ!焼くぞ!焼くぞ!焼くぞ!」と、対象が日ごろ暴力を振るいたい放題の官憲だからと人間モロトフカクテルを黙認しておいて「殺すことはなかったのに」はかなりのお笑いシーンだった。
ちなみに担当の教授に「結局あれって黒人も弾圧する側の白人と同じことをやってるんじゃないのか?」と聞いてみたところ、回答は「弾圧者と被差別者の関係を一緒にしてはいけません」。
「弾圧されている側が抵抗するためにはああいうのも許されるんです」ということなのだそうだ。
アパルトヘイトに立ち向かう高校生たちの姿を描いたドキュメンタリー風の映画。
その高校生たちによる反アパルトヘイト運動はこんな感じ。
・学校にモロトフカクテルを放る。
・日々の生活に汲々としている一般大衆を「敗北主義者め」と罵り、白人の店で買い物をしようとする婦人を強引にボイコットに付き合わせようと買い物袋を引き裂く
・父親が死んでしまったので白人宅で働きひとりで家計を支える母親を無気力!と罵る
・「ナポレオンは冬を甘く見ていた上、ロシアの民衆が家を焼くという行動に出たので負けた」という話を聞いて
「民衆が軍を倒せる!」
「俺たちも焼くぞ!」
「そうだ!」
「焼くぞ!焼くぞ!焼くぞ!焼くぞ!」
と大盛り上がり
・大勢で徒党を組んで歌いながらデモ行進。兵隊が銃を構えて解散しろ!と迫るがまったく気にも止めない、
と思いきや兵隊が本当に発砲したとたん全員一目散に逃げ出した。
その後逃走したデモ隊は店に石を投げつけたり(兵隊を乗せていない)装甲車を襲撃したり、そこらへんに止まっているバスやトラックにモロトフカクテル投げつけたり投石したりひっくり返したり。
・白人の官憲として自分たちを弾圧していた黒人警官を、ある日仲間がまた彼に手酷くやられたことをきっかけとしてついにリンチにかけ、生きたままガソリンぶっかけ火あぶりに。
それが原因で捕まって刑吏に「生きたまま人が何も焼かれることについて何も思わないのか」と聞かれて「何も」と答えた直後、自分たちに平等やアフリカの歴史を教えてくれた教師が思想犯罪で捕縛され拷問死したと聞かされる。
それを聞いて呆然と
「殺すことはなかったのに…」
その矛盾は「やつらが憎しみを教えたのだ」という理論で万事解決。
「私は戦いや憎しみが嫌いだし、人は殺せない」という恩師(その恩師もナポレオンは民衆に敗れたのだ!と脱力するようなことをぬかす人だったりするが)の教えはどこへやら。
つまり彼ら彼女らはナロードニキ、中国国民党、朝鮮南労党、日本赤軍Etc…といった根付けなかった革命家たちが持っていた特徴、
・闘争対象の選別が場当たり的で合理性に欠ける
(学校を燃やすことが反アパルトヘイト完遂とどう関係するのか?)
・無関心な一般大衆を引き込むということに対してあらゆる意味でまったく無理解・無頓着である
・先駆者たちの例を甘くみる、歴史からの引用が杜撰きわまりない
(ナポレオンを破った焦土戦術で焼かれたものは"憎い白人が作った学校という名の監獄"ではない。自分たちの生まれ育った家である)
・ちょっとしたきっかけでお祭り気分になるが、相手がおとなしくしているうちだけで本気になって冷や水を浴びせかけられたら一発ですくみ上がるという暴徒丸出しの姿勢
・結局「憎い相手」と同水準の行為を働くことで一般大衆をひきつけるための論理的優越性を失い、かつ官憲に弾圧の口実をプレゼント
といった点をことごとく兼ね備えていた。
もしこれが南アフリカの黒人による反アパルトヘイト運動の本当の姿を映し出している映画であったとするなら(できれば黒人は皆マーティン・ルーサー・キングであるという幻想に浸っていたいが)、「なぜアパルトヘイトはあれほど長く続いたのか」という個人的疑問に対する回答のひとつを垣間見たことになるのかもしれない。
とくに(何を焼くことになるのか分かっているとはとても思えない調子で)「焼くぞ!焼くぞ!焼くぞ!焼くぞ!」と、対象が日ごろ暴力を振るいたい放題の官憲だからと人間モロトフカクテルを黙認しておいて「殺すことはなかったのに」はかなりのお笑いシーンだった。
ちなみに担当の教授に「結局あれって黒人も弾圧する側の白人と同じことをやってるんじゃないのか?」と聞いてみたところ、回答は「弾圧者と被差別者の関係を一緒にしてはいけません」。
「弾圧されている側が抵抗するためにはああいうのも許されるんです」ということなのだそうだ。
